カワダアユの国

主にファッションやジェンダーについて。

19世紀以降のファッションとジェンダーの歴史

 まず、ファッションとジェンダーの歴史を振り返りたい。西洋では、19 世紀中頃から 20世紀にかけて、女性のファッションに大きな変化がみられた。米今(2008、p.313)では、19世紀から 20 世紀の女性の服装の変化の要因として、健康的な衣服への関心の高まり、人間の自然な形を重視する耽美主義者たちによる芸術運動、労働やスポーツによる生活様式の変化などをあげている。
 女性が男性用の衣服であったパンツを着用するきっかけとなったのは、1800 年代中頃に登場したブルーマー・スーツである。京都服飾文化研究財団(KCI)によると、ブルーマーとは、「1850 年代初めにアメリカの女性解放運動家アメリア・J・ブルーマー夫人が推奨したゆったりとしたトルコ風ズボン」である。また、『世界服飾史』(深井晃子監修、2010 年、p.130)では、次のように述べている。


しかし当時は大きく華やかなスカートが全盛の時代である.これは女性のズボン着用というセンセーショナルな話題としてヨーロッパに伝えられ,イギリスのパンチ誌などの風刺記事の格好の主題とされ、結局は避難と嘲笑を浴びせられるだけに終わってしまう. 1880 年~90 年代になってようやくその機能性が認められ,サイクリング(自転車)用の衣服として広く受容されて,街での女性のズボン着用の先駆けとなった.


1880 年代からドレスの簡素化が始まると、今度は上着やトップスに男性の衣服の要素を取り入れたテイラード・スーツが着られるようになった。テイラード・スーツの特徴について、『世界服飾史』(深井晃子監修、2010 年、p.133 ー 134)では、以下のように説明している。


19世紀後半以降に主にスポーツスポーツや旅行用の衣服として広まり,世紀末から 20 世紀初頭にかけて広く一般に着用されるようになった.これは上着とスカートのツーピース,シャツウエストあるいはブラウスから構成されるが,紳士服の要素が最も生かされたのは上着である.


20 世紀に入ると、身体に対する意識の変化に応じて、女性の身体がコルセットから解放されていった。20 世紀初頭の女性のファッションについて、『世界服飾史』(深井晃子監修、2010 年、p.137)では、次のように論じている。


20 世紀初頭のパリ・オートクチュールでは,[中略]前世紀から活躍していたウォルト,ドゥセ,レドファン,パキャンらは,コルセットで身体を人工的に形付けた S 字型シルエットの華麗な作品を創っていた. 身体の解放を前に,不自然な曲線に極限まで身体を沿わせて,女性はこれまでのどの時代よりもコルセットによって拘束されたのである. しかし一方では,社会的な制約の及ばない室内で,次第に身体を解き放すことに慣れようとしていた.


部屋の外ではコルセットを着用していた女性たちも、部屋の中では当時室内着として日本から輸出されていた「キモノ」のような締め付けのない衣服を着用していたのである。
 1906 年には、ポール・ポワレによって、コルセットを使用しないドレスが発表された。
 福島(2011、p.170-171)では、ポワレの発表後も女性たちはすぐにコルセットの着用をやめたわけではなかったが、1913 年のグラマラス・カレス・クロスビーによるブラジャーの発明や戦争による女性の社会進出の影響もあり、コルセットのサイズは徐々に小さくなり、スカートの丈も短くなっていったと述べられている。そして、1920 年代には、それまでの社会規範にとらわれない「ギャルソンヌ(少年のような娘)」と呼ばれる女性たちが登場した。
 ギャルソンヌのスタイルを、『世界服飾史』(深井晃子監修、2010、p.144)は、「彼女らは活動的な生活様式に適合する機能的な服を求め,短い髪,目深にかぶったクロシェ,ゆったりとしたローウエスト,膝丈のドレスというスタイル」と説明している。このスタイルでは、コルセット以前のような身体の凹凸の誇張は行われなかった。
 ギャルソンヌのような新たな女性像を服に反映させたデザイナーとしては、ガブリエル(ココ)・シャネルやマドレーヌ・ヴィオネの存在があげられる。
 1910 年にパリで帽子店を開業したシャネルは、1913 年頃からドレスの製作にも携わるようになり、主に下着で使われていたジャージーという素材を用いたシンプルで機能的なドレスを作り出した。伸縮性のあるジャージーを、シャネルはスーツにも応用した。シャネルが生み出したスーツは「シャネル・スーツ」と呼ばれ、その後の女性たちの基本服のひとつとなった。シャネルについて、福島(2011、p.173)では、以下のような指摘がなされている。


また、「女の服は男性にも気に入ってもらわなければならないから、観客としてなら男性もいいが、デザイナーとしてはだめだ」という彼女の考えや、ニュー・ルックを発表したディオールに対して嫌悪感を示すなど、女性のための動きやすい服作りにはただならぬ意欲をみせている。しかし、彼女は女権論者ではなかった。コルセットに対しては違和感を持っていたとしても、声高に女性の権利を叫んでいたわけでもない。シャネルはただ、洋服としてのデザインを追求していたのである。女性のための洋服を作ることと、女性の権利の拡大を訴えることは必ずしも一致しない。第 2 次世界大戦後に再びコルセットを要するデザインが流行する中でも、働く女性たちのために実用的な提案をし続け、女性解放に貢献したシャネルであったが、女性の権利を声高に主張することはなかったのだ。


1960 年代になると、イギリスのストリートで、膝より上まで肌を露出するミニスカート姿の女性が登場するそのミニスカートをマリー・クワントは商品として販売し、一般に普及させた。また、アンドレ・クレージュはパリ・コレクションでミニスカートを作品として発表し、ファッションとして価値付けた。ミニスカートについて、井上(2019、p.140)は以下のように述べている。


しかし近代に入ると、多くの女性たちは、自分たちが男性に何ら劣らない存在であることを示そうと戦いもしたし、逆に男性並みに労働する身体を持つことを強いられもした。[中略]ズボンを穿くことで、女性にも自由に動く脚が存在することを証明し、時同じくして、ズボンより直接的に内腿を見せるミニスカートを穿くことにもなったのだ。 
しかし、機能的な身体として誇示されたミニスカートは、すぐさま性的な眼差しに絡めとられ、むしろ女性らしさの記号として定着していくことになった。[中略]さらには、その身体を他者として見る者だけでなく、当の見られる女性たちも、自分の身体を欲望の対象として見るようになり、より欲望をかきたてるよう作り込んでいった。


ミニスカートと同じく足を見せるデザインであるパンツを取り入れたスタイルは、徐々に女性たちにも浸透していったが、1960 年代になると、スポーツなどのカジュアルな場面だけでなく、フォーマルな場面でも取り入れられるようになった。菊田(2019、p124-126)によると、1961 年にブランドを立ち上げたイヴ・サンローランは、軍服やスーツ、狩猟服などといった男性の衣服とされていたものを、女性向けにデザインし直して発表していたが、特に女性のパンツスタイルの普及には力をいれており、1967 年春夏では街で着るためのパンツスーツ、1968 年には「スモーキング」と呼ばれる女性用のタキシードを提案していたという。また菊田(2019、p.128)は、サンローランが登場する前から女たちはパンツスタイルを着用していたが、それはカジュアルな空間に限られており、職場や正装が求められる場でのパンツスタイルが認められるようになったのは 1968 年以降であることも明らかにしている。以上のようなファッションが流行した 1960 年代の女性の身体について、福島(2011、p.17)は以下のように指摘している。


1960 年代の後半には、女性たちはこれまでのように下着によって身体のラインを整えるのではなく、自らの身体自体をシェイプし、体型を保とうとするようになった。これは、今の時代の女性たちにも通じるような現代的な感覚である。こうした変化に伴い、この頃にダイエットという概念が確立することになる。考えてみれば、このダイエットという概念は、ある意味では豊かさの象徴でもある。皮肉なもので、豊かな社会になればなるほど、スリムな体形が好まれるようになるのである。こうして、女性たちは実際のコルセットではなく、目に見えないコルセットのような感覚を持ち続けることになる。


男性の衣服の要素を取り入れた衣服や、機能性を持たせた衣服によって、女性の身体は一度解放されたが、解放されたがゆえに社会の目に晒されるようになってしまい、「目に見えないコルセット」を身につけてしまった上に、性の対象として消費されるようになってしまった。そして、この感覚は現代にまで続いている。
 1970 年代以降、高田賢三森英恵三宅一生といった日本人デザイナーたちが海外で活躍するようになった。それらのデザイナーに続いて、1980 年代に活躍した山本耀司川久保玲は、新たな身体性を持つファッション・デザインを生み出した。川久保玲コム・デ・ギャルソンの服について、鷲田清一は『ちぐはぐな身体』(2005)にて、「だぶだぶな服」という章で以下のように述べている。(p.86)


その極端なものを、二年前、コム デ ギャルソンのコレクションで見た。手で支えていないとずり落ちる服、裾のほつれたスカート、上下が逆の服(シャツがスカートに、スカートが上着になっている服)、風呂敷のように上半身を腕ごと包んでしまう服などとともに、モデルさんが三〇センチはあろうかという余分な袖をふらふらさせてステージをゆっくり歩いていた。


また、同章(p.86-88)には山本耀司によるヨウジヤマモトの服について、以下のような記述がある。


ところで、しばらく前ぼくも思いがけずその長い袖を体験した。ヨウジヤマモトの一部分だけアイロンをかけすぎたかのようにわざとテカテカ光らせてある濃茶のスーツで、その鏝光り、着古して焼けた感じがたまらなく、さっそく試着させてもらったのだが、一つだけ難点があった。袖が長すぎてたっぷりと余るのだ。


この頃の日本のファッション・デザインについて、『世界服飾史』(深井晃子監修、2010、p.181)では以下のように解釈している。


そして第三に,性的な対象としての女性を飾るのではない,言い換えれば 19 世紀以来の西洋の女性ファッションに明らかだった〈ファム・オブジェ(男性の視線でみた女性)〉のための服ではない,理性的な服の存在を示した.つまり女性の身体を彫塑する服ばかりではなく,抽象的で身体の形とは直接的に関係のない服が着られたとき,初めて着る人と一体化する.


また、工藤(2011、p.96)では、川久保の 1996 年 10 月に発表した(通称こぶドレス)を取り上げ、「この洋服は画一的な美の基準を相対化するための異形の身体、あるいは対抗的な身体美を明示したものとして理解できるだろう。」と述べられている。つまり山本耀司川久保玲は、身体の形と一致しない服を作ることで、身体と服とを乖離させると同時に、他者の欲望の対象になりえない身体像を構築したのだ。こうしたデザインは 2010 年代におけるジェンダーレス・ファッションにも多大な影響を及ぼしており、「ユニセックス」を表する服の多くは、ストリートスタイル系統のゆったりしたシルエットになっている。
 1976 年にデビューしたデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエは胸部を尖らせたコーンブラ、タトゥーのように見える服など、前衛的なアイテムを作り出した。『世界服飾史』(深井晃子監修、2010、p.183)によると、彼は「とりわけ男性の服,女性の服という,西欧社会が中世以来明確に区分けを強いてきた,服装上のジェンダー(性)の境界線が揺らいでいることを,いち早く俎上にのせた」デザイナーであり、下着を表着として取り入れたり、メンズ向けにスカートに見える幅広のパンツやパンツ付スカートを打ち出した。
 1990 年代半ばから 2010 年代にかけて、ファッションメディアやその発信者は大きく変化し、読者モデルやファッションブログを執筆する一般人ブロガー、SNS を活用するインフルエンサーなどが登場した。また、流行の発信においても、ストリートやサブカルチャーからの発信が増加し、ファッションとジェンダーの関係性にさまざまな影響を及ぼしている。2000 年代後半から 2010 年代には、ミュージシャンのレディー・ガガを皮切りに、クィア文化がファッション業界で話題となり、2019 年にはアメリカ版ーー『Vogue』の編集長アナ・ウィンターが主催する MET ガラのテーマとして、スーザン・ソンタグのエッセイに着想を得た「キャンプ:ファッションについてのノート(Camp: Notes on Fashion)」が採用された。『ファッションで社会学する』(2017、p.117-p.122)では、クイアなファッションの実践者として、「誇張をまじえた女ことば,塗り重ねたメイク,きらびやかな服装,しかし一方で,野太い声や筋肉質な身体,それらを混然とさせた」ドラァグクイーン、「女性的な技術でもって,男装」をするコスプレ、「女性が女性らしさを追求したがために女性らしさから逸れていく」ロリータ少女やアゲ嬢、「「男子」というカテゴリーのなかに留まり,しかし,「男らしさ」を拒絶し,軽やかにしなやかに「女らしさ」をまとっていく」ジェンダーレス男子が、取り上げられている。それらのファッションに共通する点としては、過剰な装飾やメイクによって、身体や顔の特徴を覆い隠し、自身のルックスや社会的な性規範に抵抗していることが考えられる。近年では、韓国の女性を中心に「脱コルセット」運動が行われており、この運動では女性がこれまで社会に強要されてきた装飾やメイクをしないことによって、従来の性規範から離脱し、「目に見えないコルセット」を打ち壊そうとしている。
 新實(2019、p.41)では、2010 年代のファッションシーンおよびメディアにおける「ジェンダーレス」の流行は 2015 年、「ノージェンダー」の流行は 2012 年、2013 年頃であると指摘されているが、同論文(p.41)では以下のような言及がされている。


実際、ヨーロッパの高級ブランドであるロエベLOEWE)の 2015 年春夏メンズコレクションおよびグッチ(GUCCI)の 2016 年春夏メンズコレクションのように、男女のモデルに同じデザインの服を着装させたり、花鳥の刺繍やレース、鮮やかな色遣いなど「女性的・女らしい」と見なされる装飾や素材、色彩を取り入れた男性服がショーで数多く提案されている。また 2013-14 年秋冬パリコレクションに登場したクロス・ジェンダーの流れは、男女のデザインを交差させ、男性でも女性でもあるという性を描き出し、21 世紀の性への挑戦と評された。


2010 年代はデザインやファッションショーなどで「ジェンダーレス」を示唆する動きが数多くみられた。ここでは、ジョナサン・アンダーソンによるロエベとアレッサンドロ・ミケーレによるグッチが取り上げられているが、アンダーソンのデザインや取り組みにみられる「ジェンダーレス」性については次の章で記述する。
 また、「ジェンダーレス」や「ノージェンダー」と近い意味合いの言葉として、「ジェンダーフルイド」というものがある。「ジェンダーフルイド」とはジェンダー関係なく、その日の状況や気分に応じて好きな装いをするという考え方であるが、中野香織による『GQ JAPAN』の記事によると、「ジェンダーフルイド(揺れ動くジェンダー)というトレンドが浮上したのは、2015 年ではないかと思う。グッチのアーティスティック・ディレクターとしてアレッサンドロ・ミケーレが就任した年である。」と述べられている。同記事では「ジェンダーフルイド」的なファッションとして、2018 年春夏のメンズコレクションでの、2017 年にイギリス南西部の学校で起こった抗議運動「ボックスプリーツの反乱」を受けてトム・ブラウンやヴィヴィアン・ウエストウッドらが提案したメンズ向けスカートについて言及している。
 『MODEetMODE』No.391(2020、p.6)によると、2020-2021 年秋冬プレタポルテ・コレクションでは「コエド(Co-ed)」というワードが話題になっており、男女で共有できる
アイテムが多数登場した。「コエド」の本来の意味は「共学(co-education)」であるが、ファッション用語としては「男女ともに適した」という意味で使われている。しかし、ファッションショーでそれらを着用しているモデルの多くは身長が高く、凹凸の少ない細身の体型をしており、どのような体型であっても同じように着こなせるかどうかは疑問である。これは「コエド」に限らず、「ジェンダーレス」「ノージェンダー」「ユニセックス」という言葉で表現されるスタイルやアイテム全般に言える問題である。


以上、学部論文(2021年)より抜粋。